成績表のようなもの


 3月上旬にやっと確定申告を終えることができた。毎年のことではあるのだが、なかなかの重労働となった。労働といっても報酬を得るわけではないので、取り組むためのモチベーションは上がらなかった。1月頃から「早めに取りかかったほうがいいだろう」と頭にはあるがそのまま時間が経過し、2月に入り「もうそろそろ始めないと……」と意識を高めるために赤色のサインペンで『確定申告』と大きく書いたメモをノートパソコンに貼り付けていつでも目に留まるようにする。その赤く大きな文字にも目が慣れてしまい、メモの存在感がなくなってしまった3月に入り「もう本当にマズい」と追い込まれて、保管してあるレシートの束を取り出し、クレジットカードの明細を印刷し始めた。

 売り上げや経費はパソコンにダウンロードしている会計ソフトに入力し管理している。わたしの場合は毎月入力をおこなうということはせず、一年分を一気に入力していく。かかる経費は家賃、光熱費、道具代などとほぼ決まっており、入力すべきデータ量はさほど多くないが、それでも一年分を入力していくにはそれなりの時間がかかる。しかも、ほぼ一年ぶりの入力なので、入力するものによっては『勘定項目』に迷い、入力の仕方はマニュアルを確認して思い出しながらおこなう、といったことを毎年繰り返している。進歩がない。そのため、はじめはなかなか捗らないが、そうそうこんな感じだった、と思い出して慣れてくると入力スピードが上がり効率も良くなってくる。最初からすんなり入力できていればもっと早く終えることができるのに……と感じながらも、約一年間放っておいた自分の責任なので仕方がない。

 すべての入力を終えると、一年間の売り上げと経費が明らかとなる。売り上げから経費を差し引いた残りが所得金額となる。この数字を確認する瞬間が、子どもの頃に学校で受け取った成績表を開く瞬間と似ているかもしれないと思った。


 自分で言うのもおかしな話だが、子どもの頃は成績が良い方だった。だから終業式の日に担任の先生から成績表を受け取り、開く瞬間が楽しみだった。自分で教科別に成績を予想して、それと一致しているかどうか確認することも楽しみだった。成績を確認して良くも悪くも意外だったことはあまりなく、子どもでありながらも自己評価は正当だったのかもしれない。学校から帰宅して親に成績表を渡すときも、特に自慢するわけでも嬉しそうにするわけでもなく、いつもどおりだけどさ、といった感じで渡していたが、わたしに褒めてもらいたい気持ちがあることは親からすると丸わかりだったと思う。わたしとしては、成績よりも日常生活などについての担任の先生のコメントの方が気になり、「先生から自分はこんなふうに見えているのかあ」とか「先生は自分のことをわかっていないな」などと思っていたように記憶している。

 高校や大学でも成績表はあったが評価のみであり、コメントなどの面白味はなかったが成績表の内容に対して不安な気持ちを抱くことはほとんどなかった。
 社会人になると毎月の給与明細が成績表のようなものとなった。前職は基本給がめちゃくちゃ安かったので、営業手当や残業手当がどのくらい付与されているかによって毎月の手取りの額にかなり差があった。繁忙期の後は手取りの額が前月の2倍ほどになっていることもあった。それは喜ばしいことではあるが、来月はまたいつもの額に戻るだろうと思うとそのうち毎月の給与明細を見ても一喜一憂しなくなり、経験年数を重ねていくと、月給よりもボーナスを含めた年収でどのくらい増えているのかを確認するようになった。

 仕事を退職して鍼灸の専門学校に3年間通学し、国家試験を経て鍼灸師となってからは毎年確定申告をするようになった。今となっては、確定申告の申告書が成績表のようなものとなっている。


 会計ソフトに入力すべきデータをすべて打ち込み終えると、売り上げから経費を差し引くことでわたしの所得金額が判明する。そこでまずこの一年間のわたしの評価が決まる。さらにそこから控除額を差し引いた金額に対して所得税がかかり納税額が決まる。所得金額が決まるとわたしが納めるべき住民税や社会保険料が決まっていくこととなる。所得金額から社会保険料などを含む税金を差し引くと、いわゆる手取り額になるのだが、なかなか厳しい。子どもの頃にあんなに楽しみにしていた成績表が、今となってはため息が出るものとなってしまっている。この所得金額からそんなに税金を納めるなんて……。給与所得者の方たちは毎月天引きされているから分からないかもしれないけれど、税金などの一年分の額面はかなりのインパクトがある。

 日本国憲法には国民の三大義務「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」が定められている。納税のために確定申告をおこない、自分の申告書に並んだ数字による成績表のようなものを眺めながら、毎年「厳しいなあ……」「頑張らないとなあ……」と痛感させられる。
 子どもの頃のような気持ちで成績表のようなものを見ることがこの先あるのだろうか。成績表のために仕事をしているわけではない。来院者のためになれば、人の役に立てれば、と思うが、良い成績にならないと事業存続の危機となる。子どもの頃のような「次頑張りましょう」の次が無いかもしれないのだ。

 ただでさえ自己評価が低いわたしにとって、成績表のようなものは冷静にありのままの現実を突きつける。わたしにとっては来院者の喜ぶ顔が何よりであり、何事にも代えがたいものではある。それらによって何とか自己評価を保つことができているが、確定申告を終えたこの時期はいつもわたしの心を分厚い曇が覆い、空を見上げると重くなった灰色の雲がすぐそこにあるかのように自己評価は地へと到達するほど低くなる。心の内側に不穏で先が見通せない不安を感じさせる曇天を抱えながらも、今日もまた治療を終えた来院者の笑顔を見ると、一瞬にして成績表のようなもののことなど忘れて心の中はからりと晴れてしまう。我ながら能天気なものだと思う。

〈了〉



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2026年03月13日